「オトノハにのせて」、今日31日(木)までの4日間は、特別コーナー「ありがとう棒二森屋」をお届けしました。
棒二森屋に関わりのある方にご出演いただき、思い出など貴重なお話をして頂きました。
最終回となる今日は、アネックスにあった銀座山野楽器の店長でいらした塚原 昌一郎さんとお届けしました。
塚原さんと棒二森屋の関係は、塚原さんのお父様の代に遡ります。
お父様が渡邉商店の時計部に入店したのが、大正8年。
西暦では1919年ですから、100年前のことになります!!
函館駅前に棒二森屋が誕生すると、音楽好きでいらしたお父様は、棒二森屋吹奏楽団を設立します。
戦時下で、男性社員が次々に戦地に送られたため、楽団は昭和18年に解散となりますが、それまで楽団長をされていたそうです。
塚原さんは、昭和39年にお父様の経営する「棒二森屋楽器部」に入社されます。
当時のテナントは、各々の店名ではなく食堂部、印章部、書籍部など、直営の呉服部などと同じ表記だったそうです。
昭和32年には、棒二森屋で営業する店舗の親睦会「棒盛会」が発足。
定期的に、棒二森屋の重役の方と昼食を共にするなど親睦を深めたそうです。
なんと塚原さんは、大食堂で結婚披露宴をされたそうです。
営業時間中でまだ売場にお客様がいる中で、入場されたんですって!!
昭和57(1982)年に、新館・アネックスがオープンすると新しいブランドショップがオープンし、塚原さんの楽器部も、銀座山野楽器として再スタートすることになります。
レコードからCDへの移行が急がれる中、いち早くCDを展開。
ギターを始め、管・弦楽器、教育楽器から大正琴まで幅広い品揃えの広い店舗です。
完全防音のレコーディング・スタジオを設置して、レコーディングや各種楽器の教室にと活用されました。
港祭りの「蛇踊り」に参加をする際に、青函連絡船で使用していたドラを借りたり、蛇の鳴き声を再現するために、トロンボーンをまっすぐ伸ばして近い音が出るようにしたこと(吹いていたのは塚原さんです!!)、各階対抗の野球大会や、盛んに行われていたクラブ活動についてもお話下さいました。
スポーツは野球、バスケットボール、なんとアイスホッケーもあったそうです!!
ハワイアンやマンドリン、ハーモニカなどの音楽のクラブもありました。
懐かしく楽しいお話に、放送中は笑いが絶えませんでしたが、棒二森屋は今日で閉店。
ついにこの日がやって来てしまいました。
お店は閉店しても、棒二さんの思い出はいつまでも皆さんの心に残ることでしょう。
ありがとう棒二森屋。