10:15~ 暮らし愛研究所わくわく暮らす家づくり
一般社団法人北海道暮らし愛研究所 所長 福田誠さん、株式会社ミセスリビング 代表取締役 宇津崎光代さん、拓殖大学客員教授 兼 WBC主任通訳 李久惟さんにご出演いただきました。
(写真手前右から:宇津崎さん、李久惟さん 写真奥右から:福田令子さん、福田さん )
21日(土)・22日(日)に市内各所で住育のイベントを行われました。
住育のおかあちゃんこと宇津崎さんは京都から、李久惟さんは台湾からいらっしゃり、イベントも無事終了したとのこと。
イベントの興奮冷めやらぬ(?)皆さんから、お話をお伺いしました。
なお、本日ご出演いただきました李久惟さん。
詳しいお話を、番組終了後に収録でお伺いしました。
その様子は、後日「人ネットワーク」でお送りしますので、どうぞお楽しみに♪
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11:10~ 人ネットワーク
株式会社ミセスリビング 代表取締役 宇津崎光代さんにご出演いただきました。
「暮らし愛研究所わくわく暮らす家づくり」に引き続き、お話をお伺いしました。
兵庫県出身、4人兄弟の3番目に生まれた宇津崎さん。
現在は3名の娘さんがいらっしゃいます。
株式会社ミセスリビングは1986年に創業され、今年で31年。
教師の道から建築業界に転職されてから46年間、お母さんを笑顔の太陽にし、幸せ家族を全国に増やす活動をされていらっしゃいます。
本日は宇津崎さんのこれまでの生い立ちや、数多く出版されている書籍から『幸せが舞い降りる「住育の家」』を元にお話をお伺いしました。
リクエスト曲に「北上夜曲」を、舟木一夫の楽曲でおかけしました。
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宇津崎さんのブログ「元気印のお母ちゃんの日記」はこちら
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「あつこ‘S コメント♪」
「わくわく暮らす家づくり」に続いてのご登場。住育の家の創始者の素顔をたっぷりご披露いただきましょう♪まずは著書・幸せが舞い降りる「住育の家」のページをめくっていくと、吹き抜けの真っ白いリビングにくつろいでいる光代さんがワンちゃんを抱いてくつろいでいる写真が目に入ります。仕切りのない奥の部屋にはダイニングテーブルとすっきりした食器棚。
リビングにはオレンジ味を帯びた明るいソファと大きな木製のテーブルが…「このテーブルを囲んでわいわいガヤガヤ。カーペットに座り込んで誰もが一緒におしゃべりに興じる…会話が弾むわけですね。
ご自身が暮らす家を開放し、国内外から見えるお客様を家族のようにおもてなしをなさる光代さんは、小さい時からお母さんが明るく暮らせる家づくりに関心を持ったとおっしゃいます。
小学校教諭の経験を持ち、結婚後は稼業(建築業)を支えもう忙しい忙しい…「子供達には寂しくかわいそうな思いをさせてしまって。」その反省から楽しく暮らす家づくりを考え、行き着いたのが「住育の家」だったのですよ。
お母さまの思い出、若き日のエピソード、子育てと家づくり、そして「住育の家」が結んだ人との出会い…国内外を赤いエプロンをかけ飛び回る日々を「明るく元気なお母さんは家族の宝、幸せな家族が増えますように♪という願いをこのエプロンに込めているのです!」ご覧の笑顔♪
これからもご活躍を!ご出演ありがとうございました。
団らんを大事に…住育のこころ♪@やまがたあつこ
11:40~
有限会社プラネット 渡辺絵里子さんにご出演いただきました。
市井の人々が寄せたエッセイ、小説、インタビュー記事などで”街”の息づかいを届けてきた月刊タウン誌『街』を発行されていた、作家の木下順一さん。
渡辺さんは、その木下さんの娘さんでいらっしゃいます。
先日、木下さんの13回忌が行われた際、沢山の方々がお集まりになり、中には生前には会ったことがなかった方もいらっしゃたのだとか。
お写真の中で手にされているのは『木下純一13回忌メモリアル 追伸』。
こちらは栄光堂さんとまるたまスクエアさんで、500円で販売されています。
渡辺さんから頂いたリクエスト曲で、コーナー内でおかけした曲は、ハイ・ファイ・セットの「フィーリング」でした。
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「あつこ‘S コメント♪」
お久しぶり~!絵里子さんとは本当にお久しぶりです。木下順一さんの一人娘として、先生がなくなった後も折につけ函館を訪れ番組にもご出演。
今回も「実は…」と、13回忌メモリアルに出席のスケジュールに合わせてのご来訪となりました。ご持参の冊子「追伸」には木下先生と交友のあった方々によるお手紙形式の文章がずらり。
その中に絵里子さんの次男康介さんによる「拝啓おじいちゃん」がありました。ほんの少しだけご紹介を…「あなたはとてもまっすぐな人で、素直な意見を言う人間です。」と始まり、「正論を言われるのが嫌で、悩みは一切相談しなかった。けれど何度か人生の岐路があり悩んだ時に、もしあなたに相談したら何か良いアドバイスをくれたのではないかと、昔とは違い今はそう思っています。」と記していらっしゃいます。
函館という街にも深い愛情故、時には厳しい指摘や提言もなさっていたなあ…今思えばやはり大きな存在だったと思うひと時でした。
ご自身の足の手術とお父様の思い出を重ね、タウン誌「街」を終刊の折「いつかこの雑誌に関わった人たちと同窓会をしたい。」と語っていらした先生に、この集まりをお墓に報告に行かなければ、と記した絵里子さん。
お話を伺いながら,この街に息づく文化の一端にふれた気もち…お時間を割いてのご出演ありがとうございました。
タウン誌「街」は…不滅です♪(笑)@やまがたあつこ