11:10~「人ネットワーク」
FMいるかでは、現在の函館近郊の感染状況を踏まえ、生放送でのゲスト出演を当面の間、見合わせることとしました。
お客様はお電話でのご出演となります。
今日は、「津軽三味線日本一決定戦」で日本一に輝いた、杉本 雅人さんにご出演いただきました。
杉本さんは八雲町在住の津軽三味線奏者です。
この度、杉本さんが出場し「日本一」の栄冠を手にしたのが「津軽三味線日本一決定戦」。
多くの津軽三味線の大会は「曲弾き演奏」と呼ばれる独奏で競われますが、この決定戦では「曲弾き演奏」と「歌づけ伴奏」の両部門を審査し、その合計点数で入賞者が決まります。
名だたる審査員7名が持ち点各100点で審査をします。
最高点と最低点をカットした合計点を獲得点数としますが、得点が出場者の中で最も高くても各部門400点に満たなければ日本一とは認められない、たいへんに厳しい大会です。
多くの参加者は「曲弾き」を得意としますが、杉本さんは「唄づけ伴奏」の方が得意。
これまでの決定戦では、何度も「審査員特別賞」の受賞や、「唄づけ部門」で優勝しながらも、日本一には届きませんでした。
コロナ禍で2年間、決定戦が開催されなかった期間に「曲弾き」に磨きをかけました。
大会では、ステージ上に司会者がおり演奏が終わった後にインタビューを受け、得点はその場でスクリーンに表示されるというドキドキの時間が続きます。
はじめは杉本さんが苦手とおっしゃる「曲弾き」。
エントリー12名のうち最後に登場して、最高得点を獲得します。
続く「唄づけ」は、「曲弾き」の得点下位からのスタートですので杉本さんの演奏は最後。既に演奏を終えたライバルも舞台袖に戻って耳を傾けるという、緊張の中での演奏でした。
「唄づけ」はお得意とは言え、歌い手は普段からご一緒をされる方ではなく、大会側が準備をされる方。
呼吸や間合いなど、その場で感じ取りながらの伴奏となりました。
また、大会の翌日には「ねぶたの家 ワ・ラッセ」で記念演奏も披露されています。
杉本さんが津軽三味線を始めたのは11歳・小学校5年生のときのことです。きっかけはなんとザ・ドリフターズの三味線のコント。これを見て「かっこいい」と思った杉本さんは、地元の民謡教室で三味線を始めます。
弘前で2年間修業もしました。
民謡酒場で働きながら、毎日演奏されたそうです。
耳の肥えた地元の方も多い中、腕を磨きます。
その後、故郷・八雲に戻り津軽三味線奏者として演奏活動や教室での指導をしています。
決定戦は、一度日本一に輝くと今後は出場ができません。
杉本さんが稽古をつけた生徒さんたちが、いつかこの栄冠を手にできるように指導に熱が入ります。
また杉本さんご自身、団体戦へは出場の権利があります。
演奏を続けている限り「死ぬまで勉強」とおっしゃる杉本さん。
研鑽の日々が続きます。